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ゴヤ
【フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
(Francisco Jose de Goya y Lucientes)】
●ロマン主義
●1746年3月30日‐1828年4月16日
ゴヤの絵画と聞くと、なんだか怖い雰囲気の絵画を思い浮かべる人と、
綺麗な肖像画を思い浮かべる人の両方がいるでしょう。
ぜんぜん違う2種類の雰囲気の絵のイメージがあるゴヤですが、
どちらもゴヤらしい作品といえるのです。ただ、かかれた時代が違います。
このゴヤはスペインの宮廷画家として活躍し、スペイン最大の画家と賞賛されているほどの有名な人です。
怖い絵と綺麗な絵をかきわけた画家、ゴヤとは一体どんな画家だったのでしょうか。
ゴヤのプロフィール
1746年、スペイン北東部にあるフエンデトードスという村の農家にうまれました。
一家はゴヤが14歳のときにサラゴーサに引っ越し、そこで絵画の勉強をはじめます。
サラゴーサでバイユーという画家に知り合ったゴヤは、
彼がマドリードに行くのをきっかけについていきました。
ゴヤはマドリードのバイユーの工房で働くことになったのです。
この工房でゴヤはタピスリー(タペストリー)の下絵を描いていました。
工房で働きながら、有名な画家になることを目指していたゴヤは
1770年にイタリアへ留学し、絵画コンクールで賞をとっています。
イタリア留学後、ゴヤは再びタピスリーの下絵を描いていました。
1774年には、はじめて王室のタピスリーの下絵をかいています。
ゴヤがタピスリーの下絵を描いていた期間は長く、1792年頃までこの仕事にかかわっていました。
1789年には、念願の宮廷画家になり、10年後には首席宮廷画家の地位にまでのぼりつめました。
宮廷画家としてのゴヤは肖像画をメインに描いていました。
その一方で個人的に注文を受けた絵画では、魔女などの恐ろしい雰囲気の絵画も多く残しています。
画家として順調に歩んでいた中、ゴヤはあるとき原因不明の病気にかかり、
それがきっかけで聴覚を失ってしまったのです。
聴覚を失ったことでゴヤの画風はガラリと変化していきました。
当時のスペインの情勢も不安定で、フランスに占領され争いがおこっていました。
ゴヤの絵画は暗い色が増えていったのです。
スペインの王が変わり、美術に興味のなかった国王はゴヤを首席宮廷画家の地位のままにしておきました。
1815年以降のゴヤは宮廷画家でありながら、実質的には引退して親しい友達のために絵を描いていました。
この時期にゴヤは一軒の家を購入し、有名な『黒い絵』のシリーズを描きはじめました。
1826年に宮廷画家を引退し、ボルドーで晩年を過ごします。そして1900年82歳でこの世を去ったのです。
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